こんにちは、めがねリーマン(@megane30s)です!
自分の考えや意見と違うものに対して、「嫌だな」と思ったり、「許せない」などと感じてしまうことはありませんか?
また例えば、有名人や会社が不祥事を起こしたり、SNSで個人の発言が炎上していたり…
そんなとき、自分はなにも関係がないのに一緒になって攻撃してしまったり、許せないと思ったりすることはだれでもありうることだと思います。
今回はそのように考えてしまうことを脳のメカニズムから解説されている中野信子先生の『人は、なぜ他人を許せないのか?』という本を読み、人間関係や考え方について考えたことを紹介します。
私はこの本を読むまでは、上司をどうしても許せませんでした。
元々合わなさそうだなと思っていた上司のことを人前で叱責されたことをきっかけに「怖い」「嫌だ」という気持ちが日に日に大きくなり、メンタルを病み、うつになりました。
うつになり休職していても、どうしても上司に言われたことが忘れられず、
「上司や会社を許せない」
そう思っていました。
うつになったきっかけなどはこちらのエントリに書きましたので、よかったら読んでみてください。
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しかしこの本を読んで、「自分がなぜ上司を許せなかったのか」を理解できました。
そして、
「許さないでいることはできるけど、もっと他の面をみてみよう」
「許さないということに固執せず、もっと軽く考えよう」
と思えるようになりました。
今回はそんな風に自分を変えてくれたこの本の中で、特に心に残ったポイント、取り入れることで心が軽くなった内容を紹介します。
今回の記事を読んで、「許せない」という感情を深く理解したい方や、「どのように考えれば楽になるのか」をもっと知りたい方はぜひ本も読んでみてください。
人はなぜ意見の異なる人を攻撃するのか?
人は意見の異なる人を「許せない」と感じてしまいます。
自分が正しいと考えること以外に対して、「許せない」と感じ、正義の制裁を加える(文句を言ったりする)と、ドーパミンが出て、「気持ちがいい」と感じるようです。
そして、その「気持ちいい」という状態に慣れてしまうと、『正義中毒』になってしまい、次から次に攻撃相手を探します。
『自分=正義』と思い込んでしまい快楽を求めてしまうのです。
例えば、以前私は上司からひどく当たられていました。
その上司は日ごろから他の人の陰口や悪口を言う癖があり、常に複数人の悪口を言っていました。
攻撃相手がいなくなると次の攻撃相手を探して…
(いつしか自分も標的になってしまっていました…)
そんな感じで、陰口や悪口を言うことに慣れてしまうと、それがやめられなくなるようです。
悪口を言うことでドーパミンが出て、悪口をいうこと自体が快楽だと思ってしまうのです。
今思えば、その上司も『正義中毒』になっていたのだと思います。
このように、攻撃すること自体を快楽に感じてしまうことで、『正義中毒』になり、次から次に意見が異なる人を攻撃してしまうようになるのです。
正義中毒は伝染する
ではこのような『正義中毒』になると、どんな影響があるのでしょうか?
『正義中毒』になってしまった人は、自分の価値観や考えに反する人を拒否し、攻撃します。
(それに快楽を感じてしまいます…)
そうすると、同じ意見を持った人同士で集まったり、意見の異なる人を仲間に入れなかったり。
その結果、異なる意見や考えを受け入れない、いわゆる『いじめグループ』のような集団になってしまいます。
さらにたちが悪いことに、そのようなグループを作る人は影響力をもっていることが多い。
だからこそ周りの人はその人に逆らえずに従ってしまう…
また、特に日本人は空気を読む民族だといわれています。
たとえ違う意見を持っていたとしても、周りの多数派の意見や声の大きい人の意見に合わせてしまいます。
そのようにして自分の意見を主張できずに目立たないようにします。
そうしないと自分が標的になってしまうからです。
そのようにいつも周りの空気に合わせてしまっていると、いつしか自分自身も同じような考えになっていくのです。
そして、意見の似通った多様性のない集団、組織が作り上げられます。
正義中毒によるマイナス面
ではそのような意見の似通った集団ばかりになることで、どんなデメリットがあるのでしょうか。
価値観や意見の同じ集団の中にいると、安全は確保されますし、精神的に安定した生活が送れます。
(自分が我慢して攻撃されないという意味でですが…)
しかし、意見や考えの異なる人と接しないことは、自己の成長の妨げになり、メンタルも病みやすくなります。
要するに、所属する集団以外の考えを取り入れないと、新たな学びを得る機会が少なくなり、その結果、集団の意見=自分の意見となり、頭が固くなっていってしまいます。
また新しい価値観に触れることがなく、似通った集団にのみ所属することで、その集団の意見をもとに、「〇〇すべき」と考えてしまいがちになります。
「〇〇すべき」と考えてしまう『べき思考』が癖になってしまうと、「〇〇すべき」と思っていたことができなかったときに、ネガティブな感情になってしまいます。
そしてその積み重ねが、メンタルを病む原因になってしまいます。
このように『正義中毒』になることで、自己の成長を阻害し、メンタルにもマイナスの影響を及ぼしてしまうのです。
どうすれば攻撃を受け流せるようになるか?
では正義中毒にならないためにはどうすればよいのでしょうか。
ここでは正義中毒にならないための3つのポイントを紹介します。
人格ではなくものごとに注目する
まずは、人から反論されたときや、人と異なる意見を持っているときには、人格ではなくものごとに注目することです。
反論されると、ついつい
「自分の人格を攻撃されているのでは?」
と思ってしまいます。
また、他の人と異なる意見を言うことで、
「嫌われるのではないか?」
とか
「関係が悪くならないだろうか?」
と思ってしまいます。
このように考えてしまうのは、『反論されたり他の人と異なる意見をもつこと』=『人格を否定すること』と考えてしまっているからです。
そうではなく、人格(その人自身のこと)は尊重しつつも『意見が異なるだけ』ということを念頭に置いて接するようにします。
そうすることで、人からに反論されたり他の人と異なる意見を持ったとしても、自分自身が否定されていたり、その人自身を否定しているわけではないと考えられるようになり、軽く考えられるようになります。
そのように考えたうえで、ものごとに注目して自分の意見を持つ癖をつけていきましょう。
「正義中毒になっちゃってるなと」考える
次に、もし自分が違う意見を持っている人に対して「許せない」や「嫌だ」と思ってしまったときには、
「自分は今、正義中毒になっちゃってるな」と考えるようにします。
人と意見が異なることに対して「嫌だ」と思うのは仕方ないことです。
ですので、そう思ってしまっている自分を受け入れるだけでOKです。
そんな自分を嫌いになったり、ネガティブに考えたりせず、客観的に自分をみてみる。
(上から自分を見下ろしているイメージです。)
そのように考えてみると、
「正義中毒になっちゃってるな。気を付けよう。」
と思えて、考えを修正するきっかけになります。
多様性を受け入れる
最後に『多様性を受け入れる』ことです。
生きていれば、他の人と自分の意見が異なったり、所属している集団や組織と価値観が違う人がいることはよくあります。
1人1人、性別、年齢、生まれ育った家庭が異なりますので、それは当たり前のことです。
家族という小さい組織ひとつとっても、両親とは育った時代が違ったり、育った環境が異なります。
考えをあえて合わせようとする必要はなく、どんな人でも考え方は異なると認識していればOKです。
「みんな考えが違うんだな」
と思って受け入れる。
余裕があったら、
「相手から学べることはないかな」
「なんで意見が違うのかな」
などと考えてみる。
それだけで、他の人の考えを受け入れられるようになります。
そして、そのような考えを身に着けると、気持ちが楽になり、生きやすくなります。
(よい人間関係にもつながります!)
考えたこと
今回は自分と考えや意見が異なる人に対して、「許せない」「嫌だ」と思ってしまい、そのような人を攻撃してしまうことが癖になってしまう『正義中毒』を中心に考えてきました。
紹介した『正義中毒』にならないための3つのポイントは今日からできることですのでぜひ取り入れてみてください。
しかし、自分が変わったとしても、周りの人から「意見が違うから」という理由で嫌われたり、集団から排除されたりする可能性はあります。
そのときには、
「その程度の関係だったんだな」
と思うくらいでいいと思います。
重要なのは、
考えが違うことで嫌われることを恐れないこと。
嫌われても気にしないことです。
そして、自分を大切にしてくれたり、意見が異なる自分を受け入れてくれる人を大事にしましょう。
もちろん相手の多様性を受け入れてみてくださいね!
紹介した本
今回は中野信子先生の『人は、なぜ他人を許せないのか?』を読んで考えたことを紹介しました。
本書では、今回紹介した以外にも、脳科学や日本文化の背景をもとに集団の中での生き方や考え方についても考察されています。
「他人を許せない」、「他人を許せない自分が嫌だ」と思う人にとってはヒントが得られる本だと思います。
ぜひ手にとって読んでみてください!
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今回の記事が少しでも参考になればうれしいです!